歳時記
平成27年11月11日 今年も参加「こころの祭 姫路」。
今年も盛会のうちに「こころの祭 姫路」終わりました。盛徳寺にご来場の皆様、有難うございました。
いつもの様に文覚上人と遺愛の石を公開した他、達磨さんをテーマに達磨像やお軸を並べお話し致しました。
そして今回は特別企画として登喜さんに「俳画表装作品」の展示をして頂きました。
いつもながらご来場の皆さんは熱心に話を聞かれ、また俳画の素晴らしい作品に一心に見入っておられました。
おかげさまで90名程の沢山の方がご来場下さいました。
またアドバイザーの網干地方史談会長さんが網干高校の地域の歴史学習の講師をつとめておられる関係で生徒さんらを引き連れてきてくださいました。生徒さん達も一生懸命メモを採り学習して次に回られました。私が高校生だった頃はあまり真面目に学習取り組んだ事がなかったので非常に感心しました。
いつも適切にサポートして下さる網干地方史談会長さん、そして俳画表装の力作を快く展示協力して下さった登喜さん、本当に有難うございました。
平成27年10月22日 魚吹神社 秋祭り 屋台大集合です。
秋晴れの下、宮の馬場(お旅所)に各村の屋台が大集合しました。
昨年のこの日は雨に降られ大変でした。今年は10月に入ってから快晴が続きますが、今日も男衆の熱気と相まってか暑いくらいです。
古代から続く福井荘(ふくいのしょう)の総宮でもあり象徴でもある魚吹八幡神社の例大祭です。
播州最大のこの祭りの伝統を守り且つ発展させ支えてきた民衆のエネルギーには圧倒されるばかりです。魚吹八幡神社を支えた熱き民衆の思いを、神社の梵鐘に刻銘した蒙山祖印禅師の伝えた歴史の光景は現在まで確実に受け継がれている様です。
平成27年10月13日 岡寺様の梵鐘、拓本です。
7月に上郡の岡寺様の梵鐘の銘が盛徳寺中興の蒙山祖印禅師によるものだという事を発見したと、少々興奮気味にお伝え致しましたが、今日は天気も良く風も少なかったのでその拓本を採らせて頂きました。
何しろ初めての拓本採りでしたのでモタモタしながら何枚かに及び1日かけての大仕事となってしまいました。
案の定、採れた拓本はムラだらけで、曲面の為かシワだらけののものとなってしまいました。それでも蒙山禅師の遺された貴重な銘文を採らせて頂けた達成感と充実感は相当なものでした。
この度は、騒々しく押しかけたにもかかわらず快く拓本を承諾して下さったばかりか、お忙しい中を1日手伝って下さったご住職や銘文の資料をお貸し下さった閑栖様、何かとお心遣いをして下さったご住職のご母堂様、本当に有難うございました。
平成27年7月23日 岡寺様で大発見です。
教区行事のお手伝いで赤穂郡上郡町の岡寺(おかでら)様にお伺いしたのですが、思いかけず大発見がありました。
岡寺様は、鎌倉時代から南北朝時代に活躍し建仁寺や南禅寺を歴住された五山僧雪村友梅禅師が開山され盤珪国師が中興された大変由緒のある古刹です。
鐘楼もあり雰囲気のある良いお寺で、今までも何度かお伺いした事がありましたが、梵鐘までじっくりと拝見させて頂くという事はありませんでした。それが、この度、境内でちょっと待っていた時、軍に供出された時に検査の為穿たれたと思われる五つ程の小さな穴の開いた梵鐘を痛々しいなと思いながら眺めていて、ふと記銘者の名前を見てみると、何と盛徳寺中興の蒙山さんのお名前である事に気が付きました。これは大発見と写真に収めさせて頂いた次第です。(UP画像では確認しにくいのですが・・・)
ここで蒙山さんのお名前に出会う事になるとは露にも思っていなかったので大変びっくり致しました。一旦供出された梵鐘が検査結果であるのか終戦の為であるのか分かりませんが鋳潰される事なく無事に元ある所に戻り、しかも現ご住職と仲良くさせて頂いているが為の奇跡ともいえる巡り合わせに感謝感激です。
(参照 蒙山祖印禅師)
平成27年7月12日 蛭ヶ小島と韮山反射炉です。
法務で静岡県沼津市に行きました。 近くに世界遺産に登録されたばかりの「明治日本の産業革命遺産」の一つ韮山反射炉と源頼朝公配流の地蛭ヶ小島があるということで、少し足を延ばして寄ってきました。
最初に韮山反射炉に行きました。少し遅い時間だったのですが、世界遺産登録後最初の日曜日だったのでまだまだ大勢の人で賑わっていました。実際に使われた反射炉で現存する唯一のものという事ですが、ボランティアの方の話にチラチラ耳を傾けながら江戸時代に作られたすごいものだという事だけは理解できました。開国した頃の日本人の危機意識と情熱は半端無く、日本の成長の原点に触れた思いがしました。
そしてもう一つ是非とも行きたかった所が蛭ヶ小島です。言わずと知れた鎌倉幕府初代将軍源頼朝公が流された所です。文覚上人も近くに流され頼朝公に義朝公のしゃれこうべを掲げ挙兵を促し、政治力をつけた原点とも言える場所です。蛭ヶ小島は狩野川の中洲の一つと言われていますが正確な場所は特定できないという事です。それでも文覚上人の行跡をわずかでも辿れた事は大きな喜びでもありました。
平成27年3月21日 室津で毘沙門天王ご祈祷です。
今日は春のお彼岸の中日です。多くのお寺さんではお施餓鬼を中心に各家の先祖供養の法要をされ、お参りに行かれた方も多かったのではないでしょうか。
私は近年、先祖供養の法要ではなく、室津見性寺様の毘沙門天王のご祈祷に出頭させて頂いています。
見性寺様は、およそ1000年前姫路書写山開祖の性空上人が開かれ、その後臨済宗に変わり、赤松氏と足利尊氏が北条討伐を議したこともあるという古刹です。毘沙門天王は、多くの経説を聞かれたといい多聞天王ともいわれ、仏法を護持する四天王にも列せられています。
見性寺様の毘沙門天王は、1000年前に室津の海中より夜々光輝を発し顕れたといい、クスノキの一木造りで国の重要文化財に指定されています。
見性寺の住職は、数日前から一人で壇信徒の皆様や世の中の幸せを祈り、祈祷太鼓を打ち鳴らし合わせて1000巻の般若心経を諷誦しています。住職は声がガラガラでほとんど声が出ない様な状況で、私は本当に頭が下がる思いです。そんな法要の満願の日に一緒に最後の般若心経を諷誦する機会に恵まれたことは本当に有難いことだと感じます。