-臨済宗妙心寺派-

〒671-1223 兵庫県姫路市網干区坂上292

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福井荘(ふくいのしょう)は、文覚上人が京都高雄の神護寺を復興するため後白河法皇より譲られた荘園です。

 

坂上(さかのうえ)村に盛徳寺を開基された文覚上人は、ここを政所と定められました。
福井荘の重要な水源に「福井之大池(揖保郡太子町原)」や「福地河原(ふくじごうら・揖保郡太子町福地)」などがあります。

 

福井之大池は隣の大田荘内にありますが、この大池が埋められ、 わずかな田地にされるという話があった時に文覚上人は敢然と抗議しました。 上の文書はこの時の有名な抗議文書で神護寺文書に収録されています。

 

また、福地河原からは梵字型に水利を巡らせました。 その他に、矢田部出屋敷(揖保郡太子町矢田部)の出水を封水し福井荘の用水とするなどし、住民の生活の安定に尽くされました。

○文覚上人

文覚上人の俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)といいます。

 

御所などを守る北面の武士でしたが、袈裟御前に懸想し誤って殺め、それを悔やんで出家して文覚と名乗り那智の滝で荒行された事はあまりにも有名で、芥川龍之介の小説や映画、歌舞伎などの題材となっています。

 

文覚上人は、出家前はその直情的な性格から袈裟御前を殺めてしまいましたが、 出家後はその性格が願心の強さとなって現れました。 近年、その願心の強さにあやかって当寺にお参りされる方も多くなっています。

○文覚上人像と遺愛の石

盛徳寺では、「文覚上人遺愛の石」という那智の滝での荒行の時に拾われご自身のお守りにした那智黒と、那智の滝での自身の荒行の様子を刻した「文覚上人像」をお祀りしています。

○魚吹八幡神社との関わり

福井荘は、播磨随一の氏子数を誇り勇壮な屋台練りや提灯練りの祭りで有名な魚吹八幡神社の神域とほぼ重なっているそうです。おそらく魚吹八幡神社は福井荘の総氏神ということでしょう。

 

文覚上人は真言宗の僧であり、魚吹八幡神社も当時は真言宗との神仏習合の神社であったので、深い縁があったと思われます。

文覚上人亡き後の当寺は、荘園の政所としての役を失って廃寺となっていきましたが、仏像などは或いは魚吹八幡神社に受け継がれていったのかもしれません。 明治の廃仏毀釈などで神社には往時をしのぶものは残っていませんが、神社の神宮寺であった寺に文覚上人の祀られたお不動様があったとも聞きます。

 

また神社の梵鐘には、江戸時代に盛徳寺を臨済宗(禅宗)の禅寺として中興された蒙山祖印禅師が魚吹八幡神社の依頼で神社の詳しい由緒などを交えて銘文を記された事などから、魚吹八幡神社との並々ならぬ繋がりがうかがわれます。 残念ながら、この梵鐘は戦争で供出されてしまっていますが、『網干町史』にその銘文が採録されています。

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