兵庫県姫路市網干区坂上の『禅宗 盛徳寺』ー子授、願い事は、北向地蔵尊へお気軽にお参りください。

歳時記
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歳時記

平成24年4月24日 盤珪国師吉野山居の地を参拝しました。

盤珪国師は、中国僧道者超元禅師が長崎に来臨された事を知り長崎に向かいます。

その帰り吉野まで足を延ばし暫く吉野に韜晦されました。その時の様子を描いたものが『盤珪国師吉野山居図』(下の写真)です。
この絵は、幕末の志士で維新後は誠塾を主宰した網干の河野香邨(こうの・こうそん)が描いたものです。
この絵が盛徳寺に遺されている事の所以は不明ですが、是非一度ここに行ってみたいという思いがありました。

そこは奈良県黒滝村の笠木地区という所で、その地元の方々が妙心寺派の管長様と交流があり、管長様がこの時の国師の様子を説明文に書かれ地元の方が設置されたという事で、この度思いもかけずその除幕式に同行させて頂ける事になりました。

説明の看板は笠木の集会所の脇に設置され(中の写真)、山裾の岩場から大きな桜の木が生えちょうど満開の見頃となっていました。国師は最初この辺りで安居されていたという事です。絵の桜も300年後にはこの位に育つのだろうなと思いながら除幕式を終えました。

国師はここでは民家の近くでもあり赤子の泣き声や唐臼の音が修行の妨げになるという事で更に東方の山林に分け入って草庵を結びます。そこが上の写真の「盤珪和尚草菴遺跡」の碑のある所です。現在は林道が整備されそれ程登りにくいという事はありませんが、当時は人もなかなか入りにくかったであろうと想像します。碑のすぐ下には絵の通りの小さな滝もありました。
ここで一同、般若心経を唱え国師のご遺徳を偲びました。

この後、集会所に戻り管長様より国師の吉野の安居のお話しを拝聴しました。 地元の皆様には手作りのお食事でのおもてなしを受け、その手厚い歓迎ぶりは国師の頃もこうであったであろうかと想像し、いろいろな意味で感激の一日となりました。笠木の皆様、有難うございました。

最後に、この『吉野山居図』の讃に国師が吉野で詠まれたという和歌が記されていますので紹介いたします。

「色香をもしらぬ昔は三吉野の 花もあだにや春をへぬらん」