禅宗 盛徳寺

兵庫県姫路市網干の『禅宗 盛徳寺』ー子授、願い事は、北向地蔵尊へお気軽にお参りください。

盛徳寺
トップページ >  盛徳寺  > 文覚上人と福井荘

文覚上人と福井荘

文覚上人荒行の図
福井荘(ふくいのしょう)は、京都高雄の神護寺の荘園であったといわれています。
坂上(さかのうえ)村に盛徳寺を開基された文覚上人は、ここを政所と定められたといいます。

福井荘の重要な水源に「福井之大池(揖保郡太子町原)」や「福地河原(ふくじごうら・揖保郡太子町福地)」などがあります。

福井之大池は隣の大田荘内にありますが、この大池が埋められ、
わずかな田地にされるという話があった時に文覚上人は敢然と抗議しました。
上の文書はこの時の有名な抗議文書で神護寺文書に収録されています。

また、福地河原からは梵字型に水利を巡らすなど、この地域の発展の基礎を築かれました。

文覚上人

  • 文覚上人像

    文覚上人像

    文覚上人の俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)といいます。

    御所などを守る北面の武士でしたが、袈裟御前に懸想し誤って殺め、それを悔やんで出家して文覚と名乗り那智の滝で荒行された事はあまりにも有名で、森鴎外の小説や映画、歌舞伎などの題材となっています。

    盛徳寺では、「文覚上人遺愛の石」という那智の滝での荒行の時に拾われご自身のお守りにした那智黒と、那智の滝での自身の荒行の様子を刻した「文覚上人像」をお祀りしています。

  • 文覚上人遺愛の石

    文覚上人遺愛の石

    文覚上人は、出家前はその直情的な性格から袈裟御前を殺めてしまいましたが、
    出家後はその性格が願心の強さとなって現れました。

    近年、その願心の強さにあやかって当寺にお参りされる方も多くなっています。

  • 魚吹八幡神社のお祭り

    魚吹八幡神社のお祭り

    福井荘は、播磨随一の氏子数を誇り勇壮な屋台練りや提灯練りの祭りで有名な魚吹八幡神社の神域とほぼ重なっているそうです。

    文覚上人は真言宗の僧であり、魚吹八幡神社も当時は真言宗との神仏習合の神社であったので、深い縁があったことでしょう。

文覚上人亡き後の当寺は、荘園の政所としての役を失って廃寺となっていきましたが、仏像などは或いは魚吹八幡神社に受け継がれていったのかもしれません。

明治の廃仏毀釈などで神社には往時をしのぶものは残っていませんが、神社の神宮寺であった寺に文覚上人の祀られたお不動様があったともききます。

また神社の梵鐘には、江戸時代に盛徳寺を臨済宗(禅宗)の禅寺として中興された蒙山祖印禅師が魚吹八幡神社の依頼で神社の詳しい由緒などを交えて銘文を記された事などから、魚吹八幡神社との並々ならぬ繋がりがうかがわれます。

残念ながら、この梵鐘は戦争で供出されてしまっていますが、『網干町史』にその銘文が採録されています。